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2005-11-17 [ Thu ]
今回はトラックバックさせて頂きました。
こちらの記事があったからこその記事なので。


「模倣」や「模写」についての考えは、昔、散々同人仲間と語ったりしていたことなので、ブログでそれらに触れたことはほとんどありませんでした。
語ったといっても、私の考えは一蹴されることがほとんどで、もっぱら茶化し役か聞き役をしていましたが。
なんとなく、プログで触れるにはいい機会なんじゃないのかなという気がして、ちょっと書いてみようかと。

いい機会をありがとうございます!<あーさん。




私の「模倣」「模写」に対する垣根は低いと思います。
プロアマ問わず、人様の作品を拝読している過程で「これって○○の真似じゃないの?」と感じることは、よほどのことでない限りありません。
最近、トレースで世間を騒がさせていた少女漫画ですら、「オリジナル」と「コピー」を並べられても「言われてみりゃ、似てるか?」と思ったていどで。
【...【ぱくり】論争を読む夜長】で、件の書き手さんに向けて「それをどうして第三者に晒すことができるのか」と疑問を投げかけるに至ったのは、問題の作品が、垣根の低さを自認する私にすら、「あの、これは、ちょっと...」と言わしめるほどの模倣作品であったということにありました。


かつて、同人仲間から「模倣」「模写」に対する私の考えはヘンだと指摘されたことがありました。
どうしてヘンなのか、未だに私は納得していないんですが。


「原図を敷き写した絵」(トレース)と「原図を真似て写した絵」(模写)
どちらも広義に解釈するとオリジナルに対するコピーだろうと考えています。
『写し』も『真似』も私の中では「オリジナルに対するコピー」であって、『写し』と『真似』をひっくるめて「模写」「模倣」と呼んでいます。
「なんでトレースと模写を一緒にするのっ」と、以前、漫画を描く同人仲間に叱られたとき、「『写し』と『真似』を見分けられるほどの力量が私にはないのだよ」と開き直りました。
逆に、『写し』と『真似』を混同するなというのであれば、そのボーダーラインを私に判るようにきっちりと明示してくれと詰め寄ったような覚えもあります。
『写し』と『真似』は違うとどれだけ反論されても、やっぱり私は『写し』も『真似』も「オリジナルに対するコピーでしょ」と、そう思うのです。
ということで、【...【ぱくり】論争を読む夜長】は、あえて『写し』も『真似』も区別せず書いてます。
このあたりをある程度区別して書いていたならば、「オリジナルと称して世に出してはもちろんだめだけど」と私が考えている「模倣の作品」は、「ただの『写し』」と「書き手の独自性が全く感じられない『真似』」と書いていたと思います。
書き手が近づきたいと願う作家さんの息遣いや語感を意識して作り上げたその作品が、読み手側に「これは○○さんの模倣だよね」と思わせてしまっても、それでも尚且つ「でもいいよね、この作品」と思わせる『書き手の独自性』が存在している作品ならば、何も言うところはありません。ただ、ただ、これからも書いてください。そして読ませてくださいと思うだけです。


ある作家さんの作風を模倣していると判っていても、それでも、そんなことですら許せるような力をもった作品は、もう「模倣」ではなく「創作」ですよね?


「『写し』と『真似』をひっくるめて」とは言うものの、実際には私の中にも『写し』と『真似』のボーダーラインは存在しています。
但し、それは私の感性が勝手に引いているラインなので-しかも、めちゃくちゃ細い点線なのではないかと-、気心の知れた仲間であっても、そこが私のボーダーラインなのだということを理解してもらうのは難しいだろうなと思っているので、いつも、『写し』も『真似』もひっくるめて話をしてしまっているというだけで。
そんな面倒くさがりな私の性分を笑って許してくれる人もいたし、そうでない人もいたなあ。

そんなことは、さておき。

【...【ぱくり】論争を読む夜長】で『模倣したものを人に読ませるということに対する抵抗感が拭えなかった』と書きましたが、それは私の中に『写し』と『真似』のボーダーラインが存在しているからこその『抵抗感』なのだと思います。
私が過去書き綴った『模倣作品』は私にとっては『写し』だったから。
『真似』と呼ぶことも出来ない、「ただの『写し』」に過ぎなかったから。
「ただの『写し』」は、私にとっては、人にはやっていないと言いながら実は隠れてこっそりやっている試験勉強のための学習ノートのようなものです。
妙なところで見栄っ張りの私には、どうしても人には見せられないものなのでした。


先に公表が許せる模倣作品として『『書き手の独自性』が存在している作品』と書きましたが、ただ、この『独自性の存在の有無』は、読み手側の感性だけが判断してくれるものだと考えています。

と、いうことで。


> 「模倣の作品を公表するか?」
私にとっての「公表するか? しないか?」の判断基準は、読み手側の感性に委ねる「模倣であるというところも含めた「作品の質」に対する評価」がどんなものであれ、それを受け止められる覚悟がもてるかどうかかなあと。


以上。
長々と失礼しました(^^ヾ
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